風色の本だな

風色の本だな

『そらはさくらいろ』

 桜の花.     桜の花.     桜の花.


いよいよ4月に入りました。

美しく咲き誇る“桜の花”を眺めては、私は遠くあの頃へ、想いを馳せています。

人生は出会いと別れの繰り返し。

振り返れば、そこにはいつも桜の花があったかもしれない・・・。

1990年、4月6日、長男が4歳、長女が生後3ヶ月のとき、夫の仕事でインドネシアの首都 ジャカルタへ渡航しました。

夫は公立小学校の教諭なのですが、かねてから海外日本人学校への赴任を希望しており、
その夢は実にあっけなく叶ってしまいました。

1月のある昼下がり、私が年も押し迫った12月30日に長女を出産したばかりで、身を寄せていた実家の電話のベルが鳴りました。

「海外日本人学校への赴任が決まったよ。赴任先はインドネシアの首都、ジャカルタだからね!出発は4月6日だよ。」という夫の声。

「おめでとう!よかったね!」と言った私・・・。

その時私は、家族で新しい未知の世界に飛び込んでいく“よろこび”や“ときめき”を感じながらも、一方では、「インドネシア?ジャカルタ?こんな小さな赤ん坊を連れて行っても大丈夫なの?」という不安を胸に抱えていたのです。

そして、結果的には、3年間の貴重なインドネシア生活を体験することになりました。

最初の半年間は、驚きと、信じられないことばかり。なにしろそれまでの私の辞書の中には、「インドネシア語」など、まったくなかったのです。

ジャカルタの我が家には、その「インドネシア語」しか話せない使用人が3人いて、子どもたちを抱えた私は、とにかく、自分の意思を伝えなければなりませんでした。

それにしても、人間、せっぱ詰ると、必死で学ぶものなんだとつくづく思いましたよ。

いつのまにか、私は住み込みの2人のメイドや通いの運転手と日常会話を交わせるようになっていたのだから・・・。

そうして、私たちの新しい生活が始まりました。

今思えば、このインドネシアでの3年間は、日本で生活をする10年分にも20年分にも匹敵するような貴重な体験ばかりで、奇跡のような出会いと別れもありました。

その中身については、ぜひ近いうちに少しずつアップしたいと思いますが、結局私たちは、どっぷりとインドネシア生活に浸ってしまい、3年の間、一度も帰国することはありませんでした。

そんな私が、帰国を目前にして、父のように慕い、敬愛していた大切な人を亡くしたのです。

その人の名は“ゴードン・トビン”

それはあまりにも突然でした。

何日も泣きつづけ、悲しみに暮れていた私が
日本に想いを馳せ、願い続けていたことがありました。

実はそれが、“桜の花”への郷愁だったのです。

「日本に帰ったら、まずあの“桜の花”を見たい!!
子どもたちにも、日本の“桜の花”を見せてあげたい!!」

その想いは、日に日に大きく膨らんでいきました。

常夏の国、インドネシアに暮らしていた私は、日本で桜の花が咲く頃の
まだほんのりと冷たさも残る「春の風」や、「春の匂い」を思い出しては、
早くあの桜の花に再会したいと願ったのでした。

“桜の花”は、日本を離れて暮らしていた私の“ノスタルジーの象徴”だったのかもしれません。

そらはさくらいろ



 
◆ 『そらはさくらいろ』 村上康成 作・絵 /ひかりのくに /2002年2月・2002年5月 


作者の村上康成さんは、1955年岐阜県生まれ。

創作絵本をはじめ、ワイルド・ライフ・アート、オリジナルグッズなどのグラフィック関連やエッセイ等で独自の世界を幅広く展開しています。

1986、88、89年ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞、1991年ブラチスラバ世界絵本原画展金牌などの受賞を重ねています。

満開の桜の木の下に寝っ転がって、小さな女の子が青い空を見上げています。

そこに、「何しているの?」と犬、ちょう、かえる、ヘビなど、たくさんのお友だちがやってくるのです。

桜の花びらが散るシーンでは、この季節ならではの、美しい空の色と桜のやさしい色が、なんとも幸せな気分にしてくれます。

この季節にこそ読みたい、読んであげたい、小さいお子さん向きの絵本です。




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